福岡地方裁判所 昭和43年(ワ)1867号 判決 1971年3月15日
原告
田中初明
外三九九名
代理人
佐伯静治藤本正
ほか一名
被告
三井鉱山株式会社
代理人
橋本武人
ほか四名
主文
原告らの請求はいずれも棄却する訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一、当事者の求める裁判
一、原告ら
1 被告は原告らに対し、別表「原告および債権目録」中「請求金額」欄の金員およびこれに対する昭和四四年一月一四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とするとの判決並びに仮執行宣言。
二、被告
主文同旨の判決。
第二、当事者間に争いのない事実
一、被告(以下会社という)は石炭採掘および販売等を業とする株式会社、原告らはいずれも会社に雇用され、その三池鉱業所宮浦鉱において稼働する鉱員であつて、同鉱業所に働く鉱員をもつて組織する三池炭鉱労働組合(以下組合もしくは三池労組という)所属の組合員である。
二、原告ら(但し、松尾末永別表番号六、増田金喜同三五、藤枝忠博同四〇の三名については、後記のように当日所定の時間に繰込場に出頭したか争いがある)は、昭和四三年八月六日、労務に服するため、会社の繰込(配役等の作業指示のこと)を受けるべく、それぞれ所定の繰込時間に宮浦鉱の繰込場に赴いたが、そのさい原告ら三池労組員は、その着衣の背部に、墨またはインクで「不当処分反対、三川通勤イヤ!」「抵抗なくして安全なし」「保安をいやがる職制はイヤ」「中平副長ウソをつくな、採重行きはイヤヨ」「殺されるのはイヤだ殺される」「激増する保安サボ、出炭増に褒賞制度」「下でオイコラ追い廻し、上でニッコリ百面相」などと書きつけた白布のいわゆるゼッケン(但し、その大きさについては争いがある)をつけていた。そこで繰込担当の会社係長および係員は、原告ら三池労組員に、ぜッケンを取りはずすことを命じ、従わねば繰込まない旨を明確にしたうえ、鉱員に対して順次繰込を開始した。しかし、原告ら三池労組員は右命令に従わず、ゼッケンを取りはずさなかつたので、会社は同人らに対して繰込を行なわず、そのため同人らは当日労務に服することができなかつた。
三、ところで、原告らが昭和四二年八月六日、その労務に服することができたならば最低得たであろう賃金額は、各自の持前本人給に一致し、而して各自の持前本人給は別表「請求金額」欄記載のとおりである。
また、会社における同月分の賃金支払日は翌月一四日および同月三〇日(分割支払)であつた。
四、会社三池鉱業所の鉱員就業規則三九条は次のごとく規定する。
三九条 次の各号の一に該当する者は就業させない。
1 酒気を帯びている者等作業の秩序を紊すおそれのある者。
2 発火具その他作業上不必要な危険物を携帯している者。
3 作業上有害なビラ、ポスター等を携帯している者。
4 作業上不適当な服装をしている者。
5 鉱員衛生規則に定める疾病に罹つている者。
6 その他就業に不適当と認められる者。
五、他方、昭和三五年一二月二日、会社三池鉱業所と三池労組間に締結された労働協約(会社、全国三井炭鉱労働組合連合会間の労働協約を準用したもの)六一条および六五条は次のとおり規定する。
六一条 組合は原則として就業時間外に組合活動を行うものとする。
六五条 組合が組合活動のため会社の土地、建物、施設備品または器具等を使用または利用する場合は会社の許可を受けるものとする。
なお、右労働協約は、少なくとも昭和三九年三月以降失効したものである。
六、さらに、三池鉱業所長若林寿雄および三池労組組合長宮川睦男が昭和三五年一一月二五日締結した会社、三池労組間の「覚」八項目中には次の二項が含まれている。
2 柵内における情宣等は紛争を起さないよう慎重に配慮し、時間外に行なうこと。
3 柵内においてデモを行ない、或いは気勢を上げる等の行為により紛争を起さないこと。
第三、争点
一、原告松尾末永外二名の労務提供の有無
原告らは、原告松尾末永(別表番号六)、同増田金喜(同三五)、同藤枝忠博(同四〇)の三名が、その余の原告らとともに昭和四三年八月六日、労務に服するため、会社の繰込を受けるべく所定の繰込時間に、いずれも宮浦鉱の繰込場に赴いた、と主張し、被告はこれを争う。
二、就労不能と帰責事由
昭和四三年八月六日、会社の繰込拒否により原告らが当日の労務に服することができなかつたこと(以下単に本件就労不能という)についての帰責事由に関し、原、被告は以下のとおり主張する。
(一) 原告らの主張
(イ) 原告ら三池労組員の本件ゼッケン着用は、会社の保安軽視および不当処分に対して抗議し、且つ保安の確保を他の労働者に呼びかけるためのものであつた。
昭和四三年五月二九日、同年六月一日、三池労組員が会社に対して保安確保を要求し、且つ会社の保安軽視に対して抗議したところ、会社は、同年八月五日、三池労組員を懲戒処分に付するなど三池労組員に対し無謀な攻撃をしかけてきた。こと保安問題に関しては、炭鉱労働者としてこれを放置することができないので、三池労組員は、労働者の正当な意思表示の方法として、翌六日、ます宮浦鉱表門付近にテントを張り、横断幕を掲揚して坐り込みを開始し、或いは人事係事務所建物等にステッカーを貼りつけるなどして、前記処分に対する抗議を行なうとともに、本件ゼッケン着用に及んだのである。
(ロ) 一般に企業においては、従業員が労務に服するさい、その種職、作業内容に適した服装が要請されることは被告の述べるとおりであり、また石炭鉱山保安規則に基く会社の三池炭鉱保安規程には、作業中の服装について、鉱山労働者の安全を図る見地から、そのために着用するものを規制する。しかし右規は働程でも、作業衣の色彩や形体についてげ規制していない。要するに石炭鉱山労者に要求されるのは、生産、保安と妨とならないような服装をするということである。
而して、原告ら三池労組員は、本件ゼッケンをその着衣の上に密着させており、しかもゼッケンをつけた着衣は、いわゆる道中衣であつて、作業のさいは作業衣に着かえる予定であつたから、ゼッケンをつけたまま繰込を受け入坑しても、実際の作業上、生産、保安の妨げとなるおそれはなかつたのである。
この点について被告は、本件のゼッケンを着用した原告ら三池労組員を繰込んだ場合は、坑内等の職場において並存する三池炭鉱新労働組合(以下新労という)所属の組合員或いは職制との間に紛争が生じるおそれがあり、且つ本件ゼッケンの着用が、ゼッケンに書かれた文書の内容とあいまち、原告ら三池労組員はもとより新労組員或いは職制の作業、保安についての注意を逸らすものであると反論する。
しかし三池労組員は、従来も、ゼッケンに類似するものとして「合理化反対」「CO患者を守れ」などと記した腕章を作業中に着用していた。そして会社から右の腕章を取りはずすように言われたり、繰込を拒否されたことはない。のみならず、腕章を着用したことにより、職場等において職制や新労組員との間に紛争を生ぜしめ、作業環境を損い、生産および保安に支障を惹起せしめたことはない。また、本件ゼッケンの文言も作業、保安について注意を逸らすような内容のものではない。かえつて保安に関する注意を労働者と職制に喚起させるものである。仮に、ゼッケン着用によつて新労組員が三池労組員に対する敵対感情を多少強くするようなことがあるにしても、これによつて不測の事態が生ずるなどということはおよそ常識では考えられない。
(ハ) 前記労働協約六一条にいう許可を要する組合活動とは、作業を中断して行なうものをさし、ゼッケンのように作業を行ないながら、その意思を表明する程度の組合活動までは含まれない。六五条はゼッケン着用の場合に何ら該当しない。さらに労働協約が昭和三九年に失効したことは前示のとおりである。
(ニ) 前記「覚」が締結されたさい、宮川三池労組組合長と若林三池鉱業所長との間に、「覚」の有効期間について、いわゆる昭和三五年の三池争議終結による生産再開後の「当分の間」の暫定措置を定めるものであるとの口頭の了解がなされた。従つて、「覚」締結後一〇年も経過した今日、「覚」はすでに失効したというべく、前示の二規定も適用の余地はないのである。
仮に、「覚」がまだ有効であるとしても、それによつて禁止されているのは、集会、デモ、気勢を上げる等の行為で、紛争を起こすおそれのあるものであつて、すべての組合活動が柵内において禁止されたわけではない。
(ホ) 以上のとおり、原告ら三池労組員の本件ゼッケン着用は、労働協約、「覚」はもとより、前記就業規則三九条或いはその趣旨に反するものではなく、また債務の本旨に従つた労務の提供であることを損うようなものではないから、それ故、本件就労不能は、会社の責に帰すべき事由によりもたらされたというべきである。
そこで、原告らは会社に対し、昭和四三年八月六日分の賃金(その額は前示のとおり)とこれに対する履行期到来後である訴状送達の日の翌日(昭和四四年一月一四日)から完済に至るまでの遅延損害金の支払を求める次第である。
(二) 被告の主張
(イ) 原告らは、会社に雇用されたことにより、三池鉱業所宮浦鉱という事業(経営)組織に編入され、その組織体の一員として、同鉱鉱長以下職員の指揮監督のもとで、他の従業員と協力しつつ、職務に専念し、且つ誠実に各人の労務を提供すべき義務を負う。とりわけ炭鉱における作業、特に坑内作業は、暗い場所で行なわれる場所であり、しかも、保安の施設は整つているとはいえ、落盤、崩落をはじめとし、いわば不可避的に種々の危険を伴なうから、そこに働く従業員は、保安について細心の注意を払いながら気力を集中して作業を行なうことを要する。
かように原告らの労働契約上の就労義務は、債権法的および組織法的内容を持つものであるから、これに適合する態様で就労するのでなければ、債務の本旨に従つた履行をしたということができない。
(ロ) これを服装についてみるに、一般に企業においては、たとえ制服はきめられていなくとも、その企業の業態および従業員が従事する職種、作業内容等により、従業員に要求される服装の基準が作業に適した合理的なものとして自ずからきまつているものである。
しかるに、原告らが、前述のごときゼッケンをつけた服装で就労することは、①会社職員および新労組員に異様であるとの印象を与えると同時に、不快、反発の念をも生ぜしめ、職場のチーム・ワークを阻害するなど職場秩序、作業秩序を紊し、②ゼッケンをつけた原告ら自身、ゼッケンに書かれていることを常に意識して作業をするから、それだけ作業に対する注意がそがれ、また作業中の職員および新労組員の関心ないし注意をゼッケンに向けさせることとなり、生産活動および保安に集中しなければならない注意を他に逸らさせ、ひいては会社の生産および保安を阻害し、③三池争議後あくまで抵抗斗争を堅持しようとする三池労組と会社の生産性の向上に協力しようとする新労組とが対立、並存する現状のもとでは、ゼッケンに記載された文言(会社の行なつた正当な処分、諸施策に反対し、会社を誹謗したり、職制に対するいやがらせ等を表現したもの)とあいまち、新労組ないし新労組員の反感をあおり、その生産意欲に水をかけ、生産を損う要因となる。
④のみならず、三池労組員が、八月六日早朝から行なつた原告ら主張の懲戒処分に対する抗議行動は、多数が集団として、会社のなした正当な処分に対する非難、会社の保安施策についての中傷、誹謗、職制に対するいやがらせ等を記載したステッカーを会社施設に所嫌わず多数貼りつけ、ペンキで落書し、或いはこれを制止しようとした会社職員等に対し暴行、脅迫を加えるなど、その程度において会社の予想を上まわる極めて不穏な雰囲気のもとで行なわれ、ゼッケン着用もその一環として行なわれたものであり、従来、会社係員の作業指示等に対しとつた三池労組と新労組との対立、反発の事情に鑑みれば、ゼッケンをつけた原告ら三池労組員をそのまま繰込めば、職場秩序を維持し、もしくは生産、保安の確保に意を用いている会社係員が、職場において原告らに対し、その主旨の指示、注意を与えた場合に、原告らがこれに対しその場で抗議行動を起し、職場を混乱に陥れるであろうことはたやすく推測されるし、また原告らとゼッケンをつけたことの非を鳴らし、不満を述べる新労組員との間に不測の紛争の発生も危惧された。
(ハ) 原告ら三池新労組員の本件ゼッケン着用は就業時間中の柵内における無許可組合活動であつて、前記労働協約は勿論、「覚」の2および3項の規定ないしその趣旨に反することは明白である。
なお「覚」について、原告らは「当分の間」の暫定措置を定めたもので、昭和四三年八月六日当時すでに失効していた旨主張するが、これは事実に反する。「覚」締結にあたつて、若林所長と宮川組合長との間に「当分の間」との口頭約束ができたのは、前記「覚」2項が柵内における組合活動は時間外に行う旨を規定したこととの関連で、柵内における組合活動を時間外でも行わないことについてである。即ち、右2項に関し労使の間に、柵内における組合活動は「当分の間」時間外でも行なわない旨の口頭約束が成立したのであつて、時間内の組合活動禁止については「当分の間」の制約はない。
さらに右「覚」はもともと、全面生産再開後、柵内における三池労組の組合活動を無制限に放置するときは、三池労組員と新労組員との間に不測の衝突事故の発生も予想されたので、これを避けるため、会社と三池労組との間に、期間の定のない労働協約として、締結されたものであつて、仮に右「覚」の有効期間が、原告ら主張のように、「当分の間」であつたとしても、昭和四三年八月六日当時もなお、三池労組が柵内で組合活動を行う場合の三池労組員と新労組員との衝突の危険は継続していたから、右「覚」は依然として効力を有していたというべきである。
(ニ) 以上のとおりであるから、原告らの八月六日における労務の提供は債務の本旨に従つたものとはいえず、会社がその受領を拒否したのは当然であり、また仮に、労務の提供はあつたと解されるにしても、会社が原告らを就労させなかつたのはやむを得ない事由に基くもので、原告らの本件就労不能について、会社は全く責任がないというべく、原告らの本訴請求は排斥されねばならない。
第四、証拠関係<略>
理由
一争点一について
原告藤枝忠博、同松尾末永、同増田金喜各本人尋問の結果によると、昭和四三年八月六日、原告松尾、同増田、同藤枝の三名が、労務に服するため、会社の繰込時間に、いずれも宮浦鉱の繰込場に赴いたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
二争点二について
(一) そこで昭和四三年八月六日の原告らの前示就労不能が民法五三六条二項にいわゆる会社の責に帰すべき事由によるものか否かについて判断する。
前記争いのない事実によれば、右就労不能は、会社がまずゼッケンを着用した原告ら三池労組員にその取りはずしを命じたうえ、これに従わなかつた原告らの繰込を行なわなかつたこと(以下単に繰込拒否ないし就労拒否という)に起因することが明らかである。
それ故、就労不能に関する会社の帰責事由の有無は、会社の右就労拒否が労使の信義上、社会的に非難され得るか否かの見地から検討することを要する。
(二) ところで、本件ゼッケン(成立に争いのない乙六号証の(11)によれば、その大きさはおよそ二〇センチメートル×三〇センチメートルであつたことが認められる)の着用について、原告はそれが組合活動の一環として行なわれたものであるとは敢えて主張せず、むしろ証人宮川睦男、同中屋親盛および原告藤枝忠博本人は、本件ゼッケン着用は組合が戦術を決めて組織的に行なつた統一行動ではなく、宮浦鉱の各職場における三池労組員の自発的、自主的判断の結果である旨のことを述べる。
しかし、以下に認定する三池労組員のゼッケン着用に至るまでの経緯に照らせば、本件ゼッケン着用は、組合の斗争指令といつたものは別段なかつたものの、原告ら三池労組員が現行法上保障された労働基本権を行使すべく、組合の方針に従い、組合活動の一環として行なつたことが明白である。
即ち、<証拠>を綜合すれば、左の事実が認められる。
宮浦鉱では、昭和四三年五月二九日、上層西五〇卸部内右二片二中段小切羽において断層からのそげ落ち、同月三一日、本層西五〇卸部内右八片掘進現場において盤圧変化等の事故により、いずれも鉱員(新労組員)が負傷するという事態が発生した。
そのため三池労組員は、二九日の事故の場合は、同日午後四時四〇分頃、約二〇名で同鉱係員詰所に赴き、係員に対し、当日の事故について説明を求めたが、勤務時間中の集団抗議行動は許されないことを理由に、これを拒否された。そこでその場にそのまま坐り込み、引き続いて午後四時五〇分頃、鉱長室に右の抗議に押しかけ、係員らによつて入室を阻止されるや、玄関前のコンクリート階段に坐り込み、その後同所に集まつた者も含めて約六〇名で翌三〇日午後一時四分頃まで坐り込みを続けた。
さらに、三一日の事故に関しては、三池労組員福永弘らは、翌六月一日の繰込時、係員が事故の状況、対策などについて説明したさい、右事故について抗議をし、また入坑後も右福永は、作業時間中坑内休憩所において、国崎敏顕係員が繰込時の作業指示を補うべく追加指示を与えていた折、同係員に対し、前日の事故の原因を説明せよと要求したが、同係員が説明は昇坑後に行なうとこれを断わつたので、同係員の襟元を掴んでゆさぶつたほか、作業に就くように指示した砥上主税係員に対しても、右肩を背後から掴んで引き戻すなどした。
そこで会社は、三池労組員の右の各抗議行動が前記「覚」に違反し、剰え長時間にわたつて坐り込むことにより業務を妨害し、また係員に対し暴行を加えるごときは許されない、との見地から、同年八月五日、右行動に参加した三池労組員のうち一〇名を謹慎、うち二〇名を譴責の懲戒処分に付した。
これより先、会社宮浦鉱と組合宮浦支部との間で、従前の慣行に従い、右懲戒処分の件について協議が行なわれたが、双方の主張が対立して、同月二日に協議は決裂した。
その頃、宮浦鉱、特に上層西五〇卸部内では、たまたま岩盤の条件が悪かつたことも重なり、月のうち何件かの落盤があつたのであるが、会社との協議が決裂し、処分は必至の状勢になるに及んで、宮浦鉱の三池労組員の間には、このさいゼッケンを着用するなどの方法により、三川鉱大爆発以来の会社の保安軽視に抗議し、保安確保を会社に要求するとともに併わせて前記の処分に抗議しようとの気運が生じた。しかして組合宮浦支部は、右に述べた組合員の自主的な動きを散発に終わらせることなく、且つ組合員の総意を生かすため、組織をあげて右の抗議行動に取り組むことを決め、とりわけ各組合員の意思を会社に対し表明すると同時に、抗議行動を行なう組合員を鼓舞、激励し、さらには会社および新労組員に対して三池労組の団結を示威するための手段として、新たに、各組合員が就労にさいし、着衣の上にゼッケンを着用し、右ゼッケンには各自抗議行動の目的にふさわしいスローガンを記載することとした。
その結果、宮浦支部の離職者(会社から解雇されたり会社を退職した者のこと)を含む三池労組員は右組合の方針に則り、会社が前記懲戒処分を行なつた日の翌六日早朝、まず宮浦鉱表門付近にテントを張り、これに「仲間が埋まつた、安全にしてくれと頼んだら一五日間も出勤を停止した、許せません」と書いた横断幕を掲揚してテントの中で坐り込みを開始し、或いは表開、人事係事務所建物等かなり広範囲に多数のステッカーを貼りつけたほか、本件のゼッケン着用に至つた。
以上の事実が認めることができ、右認定に反する証人宮川睦男、同中屋親盛の各証言および原告藤枝忠博本人尋問の結果は採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
(三) もともとゼッケンの着用をも含めて組合ないし組合員の行なう組合活動は、それが各組合員の労務提供義務もしくは会社の施設管理権と抵触しない限りにおいて、原則として自由であるといえようが、組合、会社間で組合活動の方法、範囲等について、労働協約を締結することはもとより可能であつて、一旦協約が締結されれば、それが効力を有する間は組合ないしその統制下にある組合員の組合活動は、協約によつて有効に規制されるというべきである。
しかして、組合、会社間に、昭和三五年一一月二五日「覚」が締結されたことは前示のとおりであるが、右「覚」が締結されるに至るまでのいきさつについて、<証拠>によれば、次の事実が認められる。
即ち、昭和三五年一月会社の人員整理に端を発した三池労組のいわゆる三池争議も、同年一一月のストライキの解除とともに漸く終結し、同年一二月一日より会社三池鉱業所の生産は全面的に再開されることとなつた。
これより先、会社は、生産の全面再開にあたつて、従前、就業時間中における柵内(会社構内のこと)での三池労組の組合活動が会社の規制を無視してしばしば行なわれ、それが職場規律を紊し、業務を阻害する因となつたこと、とりわけ争議中、三池労組の運動方針に批判的な組合員が三池労組を集団脱退し、新労組を結成してからは、運動方針の相違と感情的対立とから、三池労組員の行なう柵内での組合活動が、三池労組員と新労組員との間に数々の紛争を生ぜしめる原因となつたことに鑑み、三池労組に対し、新労組員との間に紛争を生ぜしめるおそれのあるような情宣等の組合活動は、柵内では就業時間中に行なわないことは勿論、就業時間外でも当分の間自粛すること等を骨子とした協定を結ぶべく、協議を申し入れ、協議の結果、就業時間外の柵内での情宣等の組合活動の制限については合意に達しなかつたものの、就業時間中のそれについては、三池労組も会社の申し入れを諒とし、労使間に前示23項ほか六項目から成る「覚」が締結された。
以上の事実が認められ、右認定に反する証人宮川睦男の証言は採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
そして右認定の事実および乙三号証によれば、2、3項をも含めて八項目の右「覚」は、有効期間の定めがない労働協約というべく、「覚」締結後これが解約された旨の主張も立証もない本件にあつては、ゼッケンの着用時である昭和四三年八月六日当時もなお組合、会社間に効力を有していたことが明らかである。
そこで、本件ゼッケン着用が右「覚」、特にその2項に反するか否かについて考えるに、2項は、就業時間内における柵内の情宣等の組合活動を禁止しているところ、前認定の「覚」締結に至るまでの経緯からして、如何なる組合活動が右の情宣等に該当するかについては、該組合活動が一般的について新労組員との間に紛争を生ぜしめるおそれがあるものかどうかの視点から解釈されるべきであることは、原告らの主張するとおりである。しからば、2項によつて禁止される情宣等は、何も原告ら主張の集会、デモ等或いは証人宮川睦男の証言するがごとき作業に差し支えの生ずる組合活動に限定されないのであつて、本件ゼッケンの着用も、前示の目的から組合活動の一環として行なわれた以上、リボン、腕章の着用とは趣を異にしたその異様性およびそれに記載される文言(スローガン)とあいまち新労組員との間に紛争を生ぜしめる抽象的危険があり(具体的危険の有無については後述する)、2項の情宣そのもの、少なくとも情宣等に該当するといえる。
従つて、組合活動の一環として繰込のさい繰込場で行なわれ、また坑内等の作業現場その他で行なわれるはずであつたけ原告ら三池労組員の本件ゼッケン着用らは、「覚」2項にいう就業時間内におる柵内での情宣等に該当することは明かであつて、その目的の当、不当はともかく「覚」2項に反する点で正当な組合活動であると断ずるに由ない。
(四) そうだとすれば、そのような場合、会社はゼッケンを着してきた三池労組員に対し、「覚」違反を理由にその取りはずしを命じ得るか否かが次に問題である。
ゼッケン着用の組合活動が労使間の労働協約に反する以上、右は原則的には肯定できよう。しかし、三池労組員のゼッケン着用が、労働契約上の労務提供義務に抵触しない場合で且つ前記抽象的危険はともかく、具体的に会社係員ないし新労組員との間に紛争を生ぜしめ、ひいては会社の業務遂行に支障を与える何らの危険も存しえないときは、会社としてはこれを受忍すべきであつて、単にそれが異様、不愉快であるとの感情的反発だけから、その取りはずしを命ずることは、権利の濫用として許されないといわねばならない。
そして右原則の場合は、会社の就労拒否は何ら非難されないが、これに反して右例外の場合は、会社の就労拒否は労使の信義上社会的に十分非難され得ることとなり、結局就労不能について会社に帰責事由が存するとの結論に達しよう。
(五) そこで、本件ゼッケン着用が右例外の場合に当たるか否かについて検討する。
まず、一般に企業において、従業員が労務に服するさい、その職種、作業内容などとの関連において、労働契約上の義務である労務の提供を阻害するような服装が許されないのは当然である(前示就業規則三九条4項も右当然のことを規定したまでで、それを超えて会社の希望、好みによる服装上の規律づけをしたものとは思われない)。
しかして、<証拠>によれば、原告ら鉱員の中には、平素、作業のさいにつける作業衣のほかに、いわゆる道中衣として繰込場から作業現場までの道中につける着衣を準備し、作業現場で道中衣と作業衣とを着替える者と、別段道中衣を用意せずに、作業衣のままで繰込を受けて作業に就く者とがあつたことが窺われ、右事実並びに各証拠を綜合すると、本件ゼッケン着用当日も、原告ら三池労組員の中には道中衣をつけて繰込場に来た者と、作業衣をつけて来た者とがいたこと、従つて、原告らが本件ゼッケンをつけた着衣としては道中衣、作業衣双方あつたことが推認できる。この点、証人中屋親盛は組合宮浦支部が各三池労組員に対し、作業衣にゼッケンをつけないよう、即ち、作業中にはゼッケンをつけないよう指示した旨証言するが、右証言はにわかに採用できず、他に前認定を覆すに足りる証拠はない。
かくして、原告ら三池労組員のうちには、ゼッケンを着用したまま労務を提供しようとする者もあつたわけであるが、前掲証拠によれば、同人らもゼッケンを作業衣の上に密着させていたことが明らかであり、炭鉱労働者が炭鉱、特に坑内における作業の特殊性から被告主張のように、労働契約上安全保持の義務を負うことを考慮してもゼッケンの着用は、前記労務の提供そのものには何ら支障がなかつたといえる。
(六) しかし他方、<証拠>によれば、会社が原告ら三池労組員の繰込を拒否するに至るまでの経緯は、以下のとおりである。
即ち、会社は、前示のように、昭和四三年八月五日三〇名の三池労組員を懲戒処分に付したのであるが、従来、そのような場合には三池労組は抗議行動として、時限スト、方別ストを行なつたほか、宮浦鉱表門前に坐り込み、抗議集会を開き、また会社施設にステッカーを貼り、或いは処分の理由となつた事件に関係のある係長らの住宅に押しかけるなどの行動に出ていたので、会社は今回の処分についても三池労組が従前と同様のことを行なうことは、すでに処分前から予測していた。さらに処分前の同月二日、会社は、処分通告予定の日の翌日である同月六日に三池労組員がゼッケンを着用するとの情報を得た。
そこで、会社は右ゼッケン着用の問題について協議を重ねた結果、同月三日、柵内におけるゼッケン着用は前記「覚」違反であり、また特に宮浦鉱においては、三池労組は他鉱に比しより多くの集団的抗議行動を行なつていた関係上、同労組と新労組との対立が先鋭化しており、かかる現状において、ゼッケン着用のままで就労することを認めるときは、三池争議後会社がその維持、確立に努めてきた職場秩序を紊すのみならず、作業上、保安上要求される注意力を散漫ならしめて、いわゆるビルド鉱としての使命を荷つている会社の再建のためにも是非強化されなければならない生産、保安を害するおそれがあり、加えて職場における抗議行動、三池労組、新労組員間の紛議等、混乱やトラブルを生ぜしめて著しく職場秩序を紊し、生産、保安を害する明白且つ具体的危険が存在するなどの理由からゼッケンをつけたまま三池労組員を就労させることはできないが、最終的には同月六日朝の状況をみて宮浦鉱が決定するところに任せるとの結論に達した。
しかして、前記懲戒処分を発表した同月五日、会社宮浦鉱では翌六日に予想される三池労組の各種抗議行動に対処するため、通常は人事係事務所に係員一名、鉱員二名が当直し、表門に三名、裏門に二名の守衛を配置してきたのを当夜は特別に、表門に人事係員二名、人事係外勤勤務の鉱員二名および守衛四名を別途に増員配置し、裏門にも守衛一名を増員配置して警戒に当たらせ、さらに当直の係員一名、鉱員二名にも表門の警戒を指示し、あわせて三池労組の前記予想される各行動を制止、阻止することをも指示した。
そしていよいよ六日早朝、三池労組員は、前認定のように、宮浦鉱表門付近にテントを張り、横断幕を掲揚して坐り込みを開始し、或いは表門等にステッカーを貼りつけるなどの抗議行動を始めたが、そのさい会社原田吉住係員らがテント張りやステッカー貼りを制止しようとしたところ組合指導部長中屋親盛、離職者那須某の三池労組員は同係員のもとに詰めより、肘で同係員の手や胸を小突く等の暴行を加え、さらに係員に対し、「お前はいらん世話やくがひつこんでおれ」などと脅迫したため、会社係員らは止むなく三池労組員らの右抗議行動を黙認せざるを得なかつた。
そのため原田係員の電話連絡で樋口伝雄副長と井上治義人事係長が急遽会社に出勤した。そして井上係長が午前三時三〇分頃、表門でステッカーを貼つていた四、五名の三池労組員の一人竹村季敏に、これをはがすように要求したところ、同人は「なんばいうか」と食つてかかり、さらに同係長が表門右側の塀に貼られていた「チンピラ井上」と書いたステッカーをはぎ取ろうとしたところ、右竹村は、「なんばするか」といいながら、同係長の右手を掴んで引きおろし、四、五名の三池労組員がこれに加わつて、強い勢いで同係長の肩や背中を押し、表門内に押し込んだ。
その頃には、三池労組員は、表門のほか、その右側にある待合室、塀、人事係事務所、裏門とこれに続く塀等にまで広範囲に、しかも多数のステッカーを貼り、或いは「保安を守れ」「処分反対」「斗いには道理がある」などとペンキで大書したが、人事係事務所玄関において、前記那須が玄関のガラス戸にステッカーを貼つているのを発見した外勤係森田政男がこれを制止しようとしたところ、那須は「お前は黙つておれ」などといつて制止を聞かず、なおステッカーを貼り続けたので、同係員がこれをはがそうとしたところ、横にいた三池労組員が詰め寄つて同係員を押し倒そうとした。
その後、樋口副長は、会社側の警戒が現状に照らしてなお手薄であると判断し、緊急に連絡のとれる係長を呼集した。浜武山二係長も右鉱からの呼出で出勤し、午前四時三〇分頃、同鉱裏門から入門しようとしたところ、その付近においてペンキで落書していた三池労組員(離職者)一〇名位が同係長を取りまき、口々に「お前はにやがつているぞ」「きさま態度が横着だ、最近職制が現場でにやがつているそうだが、お前も差別待遇ばかりしているとじやろ」「日の照る時ばかりじやなかぞ」などと詰め寄り、同係長が「きさまは何か」といつた言葉じりを捕え、「きさまとは何か」「なんだ、こいつにやがつている」「暗がりに連れ込んでうつたたけ」などと口々怒号しながら、同係長の背後から抱きついたり、手足を引つぱつたりして暗がりに引きずり込もうとし、さらに同係長の着衣、傘に赤ペンキを塗りつけた。
かくして、午前五時二〇分領、一番方の鉱員が宮浦鉱に出勤し始めたのであるが、原告らの一部を含む三池労組員約八〇名は、鉱長室から数十メートル離れた山の神神社前に一旦集合し、本件ゼッケンを着用したうえ、鉱長室前の通路を一団となつて通過し、繰込場に向つた。
以上のような状況に対応して宮浦鉱では、さらに警戒を厳重にすべく、午前六時頃、人事係員全員に招集をかけたが、午前六時過ぎ、呼び出された人事係員中原萬男が、井上人事係長の指示で、人事係事務所玄関に貼られていたステッカー四、五枚をはがしたところ、那須その他の三池労組員は、「なぜはいだか、責任者を出せ」といいながら、係員の制止も聞かず、同事務所玄関前に押しかけ、「責任者を出せ」「係長を出せ」と叫び、一〇分位もみあつた。
ところで、これより先午前三時三〇分頃、会社宮浦鉱では、当時の状況をつぶさに見聞した樋口副長が採鉱副長および鉱長と図つた結果、先に入坑拒否の理由として予測された事実の発生が必至であると判断し、同月三日の既定方針に従い、ゼッケンをつけたままでは三池労組員を繰込、入坑させないことに決し、午前五三〇分の右一番方の繰込のさいおよび午前八時の常一番、午後一時二〇分の二番方、午後九時一〇分の三番方の繰込のさい、前示のごとく原告ら三池労組員が本件ゼッケンを着用して繰込場に出勤して来るに及んで、会社は、いずれもまず同人らに対しその取りはずしを命じ、これに従わなかつた原告ら三池労組員の繰込を拒否した。
以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
また、<証拠>を綜合すれば、三池労組は、三池争議の終結に当り、「斗いはこれからである」と宣言して、爾来、組合の勢力温存とその増強を図りつつ、有効な反撃の時期を作り、且つ待ち、会社の弱点につけ込み、柔軟な構えのなかで積極的な攪乱戦術をとるといういわゆる長期抵抗斗争路線を採用したこと、三池争議終結に伴う生産の全面再開に当たつて、労使間には前示「覚」が締結されたほか、昭和三五年一〇月二九日、再建に関する山元協定が成立したが、その中には、係員の作業指示に苦情が生じた場合でも、作業を中止することなく、会社、組合間で誠意をもつて解決を図るという趣旨の規定(同協定3項の(6))があり、これは、三池争議前、係員の作業指示等については職場で苦情、疑義が生じた場合、組合の職場委員または代議員が職場代表であると称して、係員に対し多数で抗議し、或いは職場交渉を求めたため、これに応じない係員との間に紛争が生じ、職場秩序紊乱の因となつていた実情に鑑み、職場に発生した苦情はこれを組合に吸いあげ、会社(鉱)、組合間で交渉して問題の解決を図るというルールの確立を目指すものであつたこと、しかし三池労組ないし三池労組員は、「覚」や山元協定にかかわらず、右長期抵抗斗争の方針に基き、係員の作業指示等について苦情、疑義が生ずるや、就業時間中であるのに職場(作業現場)において、抗議の言動をとり、多数による抗議行動を行なつたこと、特に宮浦鉱では、三九年二月頃から、抵抗斗争の拠点として、その激しさと回数において他鉱を上まわる抗議行動が行われ、例えば、すでに前記(二)で判示したごとく、坑内においてすら三池労組員は、係員に対して抗議を行ない、反発言動的に出ることがままあつたことの事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
さらに、<証拠>によれば、三池労組が右のように長期抵抗斗争を堅持したのに対し、新労組は会社の生産体制に協力し、生産性の向上に努力するという方針を採つたため、「覚」成立、全面生産再開後も、新、旧両労組の感情的対立は、前同様、依然として継続していたこと、三池労組の本件ゼッケン着用についても、これが情報を得た新労組は、同年八月三日頃、会社に対し、三池労組員が抗議行動として腕章、ワッペンを着用するという程度のことであれば、とやかくいわないけれども、ゼッケンをつけるということになれば、新労組員の立場からみて、そのような服装で真面目に働く気持があるかどうか疑わしく、これと一緒に働く気になれないし、ゼッケンをつける目的は要するに、その文言とあいまち、情宣をするということにあるわけであるから、特に生産と保安に細心の注意を払わねばならない坑内作業の障害となるのみならず、「覚」2項にも反するなどという理由から、ゼッケン着用はとうていこれを容認することができず、会社の責任において排除し、繰込を行なわないようにと申し入れたこと、本件ゼッケン着用当日も、繰込前、新労組員は会社係員に対し、三池労組員のゼッケン着用について、正気の沙汰ではない、一緒に仕事はできないなどと訴え、あからさまに反発したことが窺われ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
(七) 右(六)の(イ)で認定した繰込拒否に至るまでの経緯、とりわけ八月六日の三池労組の一連の抗議行動が、多数の動員のもとに、所嫌わず広範囲に会社施設に落書し、ステッカーを貼り、剩え、これを制止しようとした会社係員等に暴行、脅迫を加えるなど、その程度において会社側の事前の予想をはるかに上まわつていた事実に、(ロ)、(ハ)で認定した三池労組の長期抵抗斗争の方針とこれに基く坑内等での紛争の頻発および新労組員の本件ゼッケン着用に対する反応等の事実を併わせ考えると、同日、会社が原告ら三池労組員をゼッケン着用のままで繰込むについては、柵内、就中坑内において、原告ら三池労組員と会社係員、或いは新労組員との間に紛争が生じ、ひいては会社の業務遂行が阻害されかねない具体的危険が存したことは、これを否定し得ないところである。
この点、原告らは、従来三池労組員は、ゼッケンに類似するものとして、「合理化反対」等のスローガンを記載した腕章を着用したまま繰込を受け、作業に従事してきたが、職場等において、会社係員や新労組員との間に紛争を生ぜしめたことはなかつたと主張する。
そして、<証拠>を綜合すると、三池労組員は、三池争議後、すでにほぼ全員がヘルメットにペンキで三本線を入れ、一部ではあるが、昭和三七年末頃には腕章をつけ始めたこと、それが三川鉱大爆発後は、組合の決定により、全員が「合理化反対」「CO患者を守れ」などの文言を記載した腕章を作業衣もしくは道中衣につけ、さらにヘルメットにもペンキで「保安を守れ」などと記載するようになつたこと、そのうえ従来一部ではあるが、組合の要求を記載したワッペン、リボンを着用して就労したこともあつたこと、これに対し会社は、最初三池労組に腕章等をはずすように申し入れたが、組合がこれに応じなかつたので腕章等がその形も小さく、書かれた文字も小さく簡単であつて、とりたてて実害もなかつたことと、腕章等を強硬にはずさせた場合の紛争発生のおそれなどを考慮して、繰込を拒否することまではしなかつたこと、新労組員も腕章等については、従来とやかく問題にしなかつたことの事実が窺われ、右認定に反する証拠はない。
しかし、本件ゼッケン着用の場合は、会社が原告ら三池労組員の繰込を拒否したについては前記の諸事情が存するのであつて、これと事情を異にする腕章等の着用に関する右認定事実は、具体的危険の有無についてなした先の判断を何ら左右しない。
また、<証拠>によれば、昭和四三年の暮から、CO患者が三川鉱で、「職場を増設しろ」「命を守れ」「保安を守れ」などと記載したゼッケンを着用したまま就労していることが認められるが、他方証人田中陽夫の証言によれば、昭和四一年労働省から治癒認定を受けた三川鉱のCO中毒患者に対し、会社は特定作業場所を指定し、その場所内で軽易な業務に就かせることにしたところ、CO患者は間もなく前示のようにゼッケンをつけるに至つたので、会社は、患者本人にゼッケンを取りはずすよう注意するとともに、三池労組に対しても、取りはずさせるよう申し入れたが、患者も組合もこれに応じようとしなかつた。そこで会社は検討の結果、CO患者は一区画内でまとまつて作業しており、他の労働者の目にふれることも少なく、またゼッケンの内容も主として完全治療を要求するといつた程度のものであるため、他に影響するところも少なかつたので、就労を拒否しないで作業させることにしたことが窺われる。
従つて、CO患者のゼッケン着用の事実も前同様、さきになした具体的危険の有無の判断に影響を及ぼさない。
そうだとすれば、前記(四)で判示したところから明らかなように、原告ら三池労組員の本件ゼッケン着用は、会社がこれを受忍すべき例外的な場合には当たらず、それ故「覚」違反を理由にその取りはずしを命じ、これに従わなかつた原告ら三池労組員の繰込を拒否した会社の措置は、労使の信義上、何ら非難の余地はないから、結局、原告らの就労不能について会社が帰責事由を有することの主張は、本件証拠によつても、証明なきことに帰する。
三結び
よつて、原告らの被告に対する本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(権藤義臣 油田弘佑 吉武克洋)